第拾壱楽章│キミトノアト

第拾壱楽章の表紙

■#001│豹変

 実際には、ほんの数分の出来事であった。

 しかし、ももたろうはそれをとてもとても長い時間に感じていた。

 もちろんももたろうだけではなく、その場にいた他のメンバーも全員が目の前で起こっている出来事を、いまだに受け止めきれないでいた。

「あかりん…どうして…?」

 ももたろうは震える声で閼伽凛皇女にその真意を訪ねた。だけれども、閼伽凛皇女は邪悪な笑みを浮かべながらこう回答した。

「どうしたもこうしたもないわ。わたくしは沙羯羅竜王と一緒になるの。それがわたくしが今日まで旅を続けてきた理由だから…」

「そんな…」

 ももたろうは混乱の極みに達していた。しかし閼伽凛皇女の次の台詞で、幾分か冷静さを取り戻すことができた。

「でも…わたくしがいなくなったらももたろうは何にも出来ないから一番心配…」

 そのセリフを聞いた瞬間、ももたろうはすべてを理解した。いや、正確にはすべて『は』理解できていないのだけれども。

 つまり、閼伽凛皇女どのような手段を用いようとしているかは分からない。分からないが彼女が自分を犠牲にして沙羯羅竜王を倒そうとしている、という意図は敏感に感じ取っていた。

 まともに戦っても勝てないことが分かってしまった。だから沙羯羅竜王と刺し違えて、ヤツを倒す。そのために沙羯羅竜王を油断させる必要があった。だから閼伽凛皇女は唐突に豹変してしまったのではないだろうか…?

 ももたろうの頭の中にはそうした仮説が急速にできあがって行った。

 そしてその『仮説』は閼伽凛皇女の次に発した言葉で『確信』に変わっていった。

「さよなら、“お姉ちゃん”」

 確かに、ももたろうにはどうしても沙羯羅竜王を倒す方法を見つけることはできなかった。しかし、己を犠牲にした勝利に何の意味があるというのだろうか? それはつまるところ、緩やかな自殺と言えまいか? 沙羯羅竜王を倒した後に訪れるであろう平和な世界?果たしてそれが免罪になるのだろうか…。

そ・ん・な・は・ず・が・な・いッ!!!

「あかりん…ダメだよ。絶対にダメ!」

 ももたろうはとにかく閼伽凛皇女を止めようと必死だった。

 残された側が抱えるであろう『助けられなかった』という無力感や自責の念。そうした深い悲しみを想像して欲しいと願った。

 そうすれば閼伽凛皇女の暴挙を思いとどまらせることができるんじゃないだろうか、と考えた。

「あかりんがいない世界なんて…ありえないよ…一緒に…」

 涙ながらに訴えるももたろうの姿を見て、閼伽凛皇女も悟った。ああ、自分の想いは確かに伝わっているんだな、ということを。

 旅立つ為に無理に隠したももたろうへの想いが、閼伽凛皇女の胸を叩く。

 ももたろうが好きだよ。ももたろうだけが、ただ好きだよ。

 そして閼伽凛皇女は『 I love you 』と言う代わりにこうつぶやいた。

「誰かひとりを愛するような、こんな日が来るって知らなかったな…」

 もちろんそれは沙羯羅竜王に贈る言葉ではなかったが、沙羯羅竜王はそれが自分に向かって発せられた言葉と理解した。
 
そしてももたろうが見せた絶望的な表情も、閼伽凛皇女の裏切りに対する驚きだと解釈して満足そうにニヤついたのである。

 閼伽凛皇女は玉座に座る沙羯羅竜王の方に向き直ると、早口になにやらつぶやいた。

 両の目からは涙が溢れていたけれど、満足そうな笑みをたたえながら…。

『 My smile will change the world. You decide my future Can't stop. 』

 直後、玉座の真下に直径五メートルほどの魔方陣が出現した。

 突如として出現したその魔方陣から青白い光の柱が立ち上ったかと思うと、すぐさま円の内部はすべて真っ黒に変色した。

魔法陣のイラスト

 その正体は極小のブラックホール。

 実はそれは富国有徳王があらかじめ玉座に仕掛けておいたトラップ魔法だった。

 万が一、城が鬼族に奪われた際に発動させる予定だった、富国有徳王のいわば切り札中の切り札。

 そのジョーカーは閼伽凛皇女が唱える呪文に反応する仕掛けになっていた。

 沙羯羅竜王は周囲の異変に驚き、慌てて立ち上がろうとした。しかし、もうその時には床と呼ばれるものはすでに無くなっていた。

「馬鹿なッ! 何が起こ…」

 沙羯羅竜王が怒号を発した次の瞬間、閼伽凛皇女と沙羯羅竜王は玉座もろともシュヴァルツシルトの海に、文字通り飲みこまれて行った。

魔方陣はすぐさまその扉を静かに、そして永久に閉じるのだった。

◆   ◆   ◆

 その場に居合わせたメンバーはとにかく泣き続けていた。

 特にももたろうの状態はひどいものであった。周囲の者がもう二度と立ち直ることなんかできないんじゃないか、と恐怖を感じる程に。

 とにかくももたろうは泣きやむことなく、ただひたすらに後悔するしかなかった。

 どうして鬼退治なんか始めてしまったんだろう。

 どうして鬼退治の旅に閼伽凛皇女を連れて来てしまったんだろう。

 どうして考えもなしに破魔待城に乗り込んできてしまったんだろう。

 どうして沙羯羅竜王に無謀な戦いを挑んでしまったんだろう。

 どうして沙羯羅竜王を倒すことができなかったんだろう。

 どうして閼伽凛皇女の行動を止めることができなかったんだろう。

 どうして閼伽凛皇女は自分を残して死んでしまったんだろう。

 どうして…。

 どうして…。

 どうして…。

 ももたろうはただひたすら自分を呪った。不甲斐ない自分自身を。

「いくら『魔王を倒した』からって、それがいったい何になるの? 平和な世の中になったところで、あかりんがいない世界になんて何の意味も無いじゃない! わたしのせいだ。弱いわたしの…」

 しかし、そんなももたろうにさらに残酷な現実が突きつけられることになる。ももたろうのつぶやきに対する嘲笑によって――――。

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