■#003│豹変の皇女
破魔待城の大広間で、ついにももたろう一行は沙羯羅竜王との対面を果たした。
ももたろうたちは全員両手に大きな木製の手錠をはめられている。要するに囚われの状態ではあるが、もちろんそれは演技にすぎない。
片や沙羯羅竜王は身長が百八十八センチ、体重が百十キロという巨漢で、いかにも王者の風格というオーラをまとって、玉座から鋭い眼光で一同を見降ろしている。
「ご苦労だったな。般若の者よ」
沙羯羅竜王が般若隊首領に声をかけた。
「ははっ。閼伽凛皇女と供の者を一網打尽にして参りました。おいっ」
般若隊首領の合図によって、拘束されたももたろう一行が沙羯羅竜王の前に突き出される。
集団の中に閼伽凛皇女の姿を見つけると、沙羯羅竜王の表情が緩んだ。
「おぉ…久しぶりだな閼伽凛皇女。せっかく城を占領したのに、お前の姿が見えなくて淋しかったぞ。ようやくワシのものになる日が来たな。さっそく明日には婚儀を執り行うから楽しみにしていておくれ」
「婚儀ッ!? アンタあかりんのことが好きなの?じぇじぇじぇー気持ち悪いっ! だいたいアンタいくつなのよ、このロリコン魔王!!!」
「お前がももたろうか。キャンキャンうるさいメス犬め。明日、ワシと閼伽凛皇女の婚儀が終わればお前ら全員処刑してやるわ。楽しみに待っておれ。グフフ」
「冗談ではありませんわ! わたくしは貴方と結婚する気なんてこれっぽっちもありませんから。片方の当事者の意見を無視してどんどん話を進めないで!」
「あぁ…怒った顔も魅力的だよ、閼伽凛皇女。でも明日は笑顔でワシの隣に並んでおくれ」
悦に入った沙羯羅竜王に般若隊首領が語り掛ける。
「ところで沙羯羅竜王様。明日の婚儀のことで少々お話しておかねばならぬことがございます」
「なんだ、申してみよ」
「明日の婚儀は、ことによると行えなくなるかもしれません」
「なにっ? それはどういうことだ、説明しろ!」
「はい。それは…明日には…」
般若隊首領が結論を言う前に、その台詞をももたろうが横から奪った。
「明日には、もうアンタがこの世に居ないかもしれないからよッ!!!」
ももたろうがそう叫ぶと、一行を拘束していた手錠が一斉に外れ、次々と床に落ちた。そしてそれを合図に、般若隊を中心とした突入部隊が大広間になだれ込んできた。
突入部隊を背にした閼伽凛皇女が沙羯羅竜王に向かって啖呵を切った。
「残念ながら明日は貴方の結婚式ではなくってお葬式になりそうですわね。今こそ父、富国有徳王の仇をとらせていただくわ!!!」
「おのれ般若っ。裏切ったな! 衛兵はどうしたっ!曲者だ、出会えええ!!!」
沙羯羅竜王の怒号は大広間全体の壁を揺らすほどの大迫力であった。しかし不思議なことに衛兵はひとりとして助けにこなかった。
その時点での沙羯羅竜王の護衛は、元々部屋の中に居た衛兵がわずかに十人程度のみである。むしろ囚われの状態にいたのは、実は沙羯羅竜王の方だったということが明らかになった瞬間だった。
「残念ながら誰も助けにこないでありやす。城の各所に『アホアホヘクトパスカル粒子』をレベル三千という超高濃度で散布したので、衛兵始め、この城の守備隊は恐らくほぼすべて戦意を喪失してしまっていることでしょうね」
「オメぇは完全に包囲しタ。もうどこにも逃げ場は無ぇゾ!」
ももたろう一行の勝ち誇った顔を目の当たりにしたが、沙羯羅竜王の威厳はいささかも崩れはしなかった。それどころか立ち上がった沙羯羅竜王の威圧感に押し戻されてしまった感すらある。
「逃げ場は無いだと?笑わせるな小娘どもめ。ワシは逃げる必要など無い。むしろお前らが早く逃げた方が良いのではないのかな?」
「はんっ。負け惜しみを…」
ももたろうチームのメンバーは全員が全員、完全に沙羯羅竜王を追い詰めたと思っていた。そう、ほんの数秒後までは。
沙羯羅竜王は格闘戦に必要な『パワー』『スピード』『テクニック』そして『センス』を極めて高い次元で併せ持った格闘家(マーシャル・アーティスト)である。
しかも肉弾戦だけではなく、高度なマジックスキルを有している魔法使いとしての側面もあり、当代随一の魔法拳士と評する者もいるほどであった。
そのため沙羯羅竜王は、鬼族の間では『魔界の至宝』とまで呼ばれていた。
そんな沙羯羅竜王が攻撃態勢に入った。
「ウリイイイ! 喰らえ『閃光魔法撃吼(シャイニング・ウィザード)』おおっ!!!」
それはあっという間の出来事だった。沙羯羅竜王が放った最初の一撃だけで、魔法耐性の低い者は全員があっけなく動けなくなってしまった。
大広間の中でかろうじて立っていられたのはほんの数人でしかないという惨状だ。
(つ、強い。これまでの敵とはケタ違いに…強いッ!)
ももたろうは戦慄を覚えた。それは一行の他のメンバーも同様であった。しかしそんな中にあっても、この大広間で一番先に冷静さを取り戻したのはイヌの少女だった。
彼女は他のメンバーよりもいち早く反撃の意思を固めた。そしてかつて於の島のムニエル・クッキング苑で使った『暗黒招来雷電轟咆閃(カモン・ライディーン)』という魔法の詠唱に入った。
そのことに気がついた他のメンバーは、彼女の詠唱時間を稼ぐために一斉に沙羯羅竜王めがけて突進を開始した。だが沙羯羅竜王はまるでダンスを踊っているかのように、華麗なフットワークで連続攻撃を捌いて見せた。
ちょうどボクシングの防御テクニックで言うところの『スウェーバック』あるいは『スウェーイング』と呼ばれるものを駆使して、斬撃を受け止めるというよりも相手の力を上手く利用して柳のようにいなしていく、という描写が適当だろう。
攻撃に参加していたすべてのメンバーが、沙羯羅竜王との実力差を思い知った頃、イヌの少女の精霊魔法が炸裂した。
カッ!!!
大広間には耳をつんざく爆音がとどろき、室内には焦げ臭い異臭と共にモウモウとした煙が充満した。
(手ごたえアリ!)
(やったか?)
視界は遮られてはいたが、イヌの少女には沙羯羅竜王を捉えたという確信があった。かつて自分の全力を受けて無事で済んだ者などいなかったからだ。
しかしやがて霧が晴れるように煙りの切れ目が現れると、そこに仁王立ちする沙羯羅竜王の巨体が現れた。
「無駄無駄無駄無駄ーッ! 小娘どもにしては頑張った方だな。ワシからの手向けだ。受け取るが良い。この『月面水爆飛翔圧殺旋(ムーンサルトプレス)』をな!!!」
沙羯羅竜王はニヤリと表情を緩めると、更なる必殺技を繰り出した。
ズバァァァァァァァァン!!!
沙羯羅竜王は空中へ飛翔したのちに、後方へ二百七十度回転してボディ・プレスを決めた。着地した瞬間、周囲へはまるで津波のような衝撃波が放たれた。
大理石の床はめくれ上がり、壁も大半が破損していた。
「ふーーーッ」
沙羯羅竜王は立ち上がって周囲を見渡したが、本人以外もう誰一人として立ち上がることができた者などはいなかった。
◆ ◆ ◆
それはほんの短い時間でしかなかったが、ももたろうの意識は飛んでいた。ハタと気が付くと大理石の床に倒れこんでいたのである。
(動かなければやられる!)
その恐怖感から立ち上がって、戦闘態勢を作ろうとしたが、どうしても四肢に力が入らなかった。
それは一行の他のメンバーにも言えることだ。全員が受けたダメージでほとんど身動きができない状態になっていた。
ただ一人の例外を除いては…。
ももたろうたちにとって絶望的な状況の中、場にふさわしくない笑い声が大広間にこだました。
笑い声の主は……なんと閼伽凛皇女である。
閼伽凛皇女はそれまで巨大な石膏像の後ろに隠れていたのだが、そこからひょっこり顔を出すと、不敵な笑みを浮かべて広間の中央に歩みを進めた。
「おーっほっほっほーっ! さすがは沙羯羅竜王ね、ウワサ以上の強さですわ。ももたろうみたいなゴキブリを歯牙にも掛けないとは、さすがに“氷帝”という異名も伊達ではないですわね」
「ほぅ。ワシの強さを目の当たりにして、心変わりしたか、閼伽凛皇女よ」
「ええそうよ。わたくしは強い漢が好き…貴方のような、ね」
閼伽凛皇女はツカツカと沙羯羅竜王に歩み寄り、丸太のような腕に抱きつくようにまとわりつくと、ももたろうたちを見下ろして恐ろしく冷たい言葉を放った。
「ももたろう。今まで旅のお供を務めてくれてありがとう。礼を言うわ。退屈しのぎには丁度良かったけど、もうあなたは必要ないの…フフッ」
「な、何ですって!? 嘘でしょう? あかりん…」
「オメぇ、イッタイゼンタイどうしちまったんダ!?」
「こんなところで裏切るなんて、シナリオには無かったことでありやす」
「確かにリーダーはえくぼが深くてかなりブスだけど、でもだからって!」
その場にいた全員がわが耳と目を疑った。
それはももたろうとて例外ではない。震える声を絞り出し、閼伽凛皇女の真意を確かめようとしていた。
「何を…あかりんが何を言っているのか分かんないよ…あかりん…」
「何を言っているのか分からないですって? 死刑宣告よももたろう。あなたたちには消えてもらう事になるわね。滅びの時を免れ、未来を与えられる生命体はひとつしか選ばれないの。そして、鬼族は死すべき存在ではない。鬼族には未来が必要だわ。ありがとう。ももたろうに逢えて嬉しかったわ」
閼伽凛皇女の口から飛び出した衝撃の発言!!!
あまりのショックで誰もその後に口を開くことができなかった。
その様子を見て沙羯羅竜王が閼伽凛皇女に甘く囁いた。
「では明日には我が臣民に妻を披露できるというわけだな」
「ええそうよ。明日が楽しみですわ。婚礼が済んだらすぐにあいつらを処刑してくださいましね」
「お前の頼みとあれば、今すぐ行っても構わんのだぞ?」
「いいえ、明日の婚礼を下賤な者たちの血で汚されたくないわ。それより玉座へ参りましょう。貴方にはあの場所がふさわしい」
閼伽凛皇女は沙羯羅竜王の手を取って玉座へいざなった。
沙羯羅竜王は玉座に深々と腰を下ろすと、床に転がっているももたろうを満足そうな笑顔を浮かべながら見下ろした。
その傍らに立った閼伽凛皇女はというと、これまた恍惚の表情を浮かべて熱っぽく沙羯羅竜王を見つめていたのである…。
― 第拾楽章:歌う、歌う。 完 ―
メモ
【続きの物語を読む】
第拾壱楽章│キミトノアト
破魔待城の広間でついに宿敵、沙羯羅竜王と対峙したももたろう一行だったが、沙羯羅竜王の攻撃であっさり無力化されてしまった。そしてあろうことか、閼伽凛皇女までもが沙羯羅竜王に味方するかのごとく振舞った。予期せぬ裏切りに一同は戦慄するしかなかった。
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【ひとつ前の物語を読む】
第九楽章│へそで踊る歌
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【登場人物紹介を読む】
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終末ヒロイン伝『シン・ももたろう』
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