■#002│井戸端会議
ある日のこと。
立派に成長したももたろうは、飼っていたペットを連れて散歩に出かけることにした。
「おじいさん、おばあさん、今から散歩に行ってくるね」
「行ってらっしゃい。夕食までには帰ってくるのよ」
「気をつけてな。ところで、もし途中で『炭焼きの内山田(スミヤキノウチヤマダ)』に出会っても相手にしてはいかんぞ」
「分かってるって!それじゃあ行ってきまーす。キャロ!モカ!ピーチ!行くよー!」
(おじいさんもそうだけど、どうして村の人たちは内山田さんのことをあんなに嫌うのかな?わたしには悪い人に見えないんだけどな……)
炭焼きの内山田というのは流れ者で、星屑村からは少し離れた山裾に独りで暮らしている。正確な年齢は不詳だが、おそらく三十代であろう。ちょうどももたろうが生まれた頃にこのあたりにやってきて、それまで無人だった炭焼小屋にそのまま居ついてしまったのだ。
奴は自分の素性をまったく明かさないものだから、村人からは気味悪がられ、距離を置かれている存在でもあった。
◆ ◆ ◆
ももたろうは散歩の途中で村の中心部にやってきた。香水屋の店先で幾人かが井戸端会議をしているところに出くわした。
井戸端会議をしていたのは香水屋の主人とそのゲーム仲間のボート屋の女将。それから戦場に出向いて写真を撮っている写真家の三人だった。ももたろうにとっては見知った顔ばかりだったので、自分も話題に参加しようと声をかけることにした。
「こーんにーちーはー!」
「きゃっ!ああ、びっくりした。急に声をかけるからびっくりするじゃない!」
ももたろうの声かけに驚いて、ボート屋の女将が後ろに跳び退った。ボート屋の女将は「アキナ」という名で、驚くとなぜか後ろにジャンプするクセがある。村の人たちからはボート屋の“秘技:猫ジャンプ”と呼ばれてからかわれている。
「こんにちは、ももたろうちゃん。天気が良いからお散歩?」
香水屋の主人が声をかけた。彼女は「アヤノ」。星屑村にある香水屋『キャッツアイ』を営む美人三姉妹の長女で店のオーナーでもある。
「そうなの。ねえ、ところでみんなでなんのお話をしていたの?」
「あのね、いよいよ『預言の書』に書かれていた『黒い終末(カブラ・サダブラ)』が近づいているんじゃないか、という話よ!」
「ふ~ん『黒い終末(カブラ・サダブラ)』ってなぁに?」
「あら、ももたろうちゃんは『黒い終末(カブラ・サダブラ)』を知らないの?」
ももたろうが首を振りながら「知らない」のポーズをすると、それまで沈黙していた戦場カメラマンが口を開いた。
「最近も…国がひとつ…壊れてしまったのです…。ついに…『青き丘の国』も…鬼の手に落ちて…『暗黒郷(ディストピア)』に…されてしまったのです…。私は…その様子を…このカメラに…納めてきたのです…」
お気づきのように、この戦場カメラマンはなぜか一語一語を区切って、妙にゆっくり話すのがクセなのだ。職業柄、言葉の通じない場所に出向くことが多いため、単語を正確にゆっくり伝えると理解してもらいやすいことから自然と身についたものらしい。
「そうやって鬼の支配が広がると、この世界から『色』が失われて『黒い終末(カブラ・サダブラ)』がやってくるのですって。なんでも鬼は『色』を食べるらしいのよ…。」
「そんなのイヤだ! ねえ、どうすればいいの?」
「そりゃあ鬼を退治するしかないでしょうね!でもね、ももたろうちゃん、あなた間違っても鬼を退治しようなんて思っちゃいけないわよ?いくらあなたが力自慢だからといってもまだ子供なんだし。さすがに鬼にはかなわないんだからね!」
「そうですとも…なんといっても…あの『青き丘の国』の王様ですら…かなわなかったと…いうんですからね…。」
『青き丘の国』というのは、ももたろうたちが住む星屑村のはるか西方にある王国のことである。いや、正確には「あった」ではあるが。
青き丘の国はかねてより、たびたび魔界の鬼族から侵略を受けていた。それまでの数百年は国境を越えての侵入などは許すことなく過ごしてきたが、近年では鬼族の魔法攻撃に手を焼くようになり、ついに一年ほど前に王都は鬼族の手に落ちてしまった。
かの国の王は『富国有徳王(フコクユウトクオウ)』といい、『住んでよし、働いてよし、訪れてよし』の理想郷を創るための施策に積極的に取り組み、領民からも慕われていた名君であった。しかし、王城が陥落した際に討たれて亡くなってしまったのだ。
王には一人娘の皇女『閼伽凛(アカリン)』という姫君がいたが、鬼族との戦いのどさくさで行方が分かっていない。父王の後を追って自害した、とも戦が始まる前に城を抜け出し落ち延びた、とも言われているが、真相は分からない。
また富国有徳王の妃は『小百凛女王(サユリンジョウオウ)』といったが、『閼伽凛皇女(アカリンコウジョ)』を出産してほどなく亡くなってしまっていた。
そうして数百年の栄華を誇った青き丘の国は、この地上から消滅した。
◆ ◆ ◆
「世界は今…アイドルを必要としています…」
戦場カメラマンが出し抜けにそうつぶやいた。そしてももたろうの目を見据えながら言葉を続けた。
「そして世界は…ももたろうさんを必要としています…。これからは…世界を舞台に…活躍して欲しいと思います…。世界中の街で…ももたろうさんを見かけたら…僕が…写真を撮ります…」
「もう、ナベさんってば相変わらず意味不明ね!のっちもツッコミ入れてあげて!」
「あはは、アッキーナ、ナベさんがおかしいのは今に始まったことじゃないでしょう?」
村人たちの話を聞いて、ももたろうは暗澹とした気持ちになった。ひとつには、世の中にはまだ自分が知らない得体のしれない恐怖が存在するということを知ったからだ。いまひとつは、そうした恐怖を前に、それらを払う方法さえ知らぬ己の存在が、ひどくちっぽけなものに思えたからである。
村人たちと別れたももたろうは西の丘に向かった。西の丘に登ると目の前に広がる平原を見渡せる。その眺めがももたろうにとっては心地の良いものに思えた。だから気分が落ち込んだ時などに、たびたびこの場所を訪れていた。
(ああ、風が気持ちいい…)
やがてももたろうの気持ちも晴れた。そして自分の影が長くなっていることに気が付いて、西の丘を後にした。