■#002│韜晦
その日の夕方遅くになって、ももたろうはようやく目を覚ました。ももたろうの様子を不安げに見守っていた閼伽凛皇女の表情が、ぱぁっと明るくなった。
「お気づきですか」
「おや、目が覚めたかい?」
「あ、内山田さん…助けてくれてありがとう」
「ももたろう殿、気分はどうですか?」
「うん、もう大丈夫です。あイテテ…」
実際のところ、ももたろうの傷は浅くない。全然大丈夫なはずはないが、ももたろうは強がってみせた。
ももたろうが寝かされていたのは炭焼き小屋の居間で、閼伽凛皇女はつきっきりで看病していたのだろう。それが分かっただけに、ももたろうは閼伽凛皇女に気を使ったと言える。
「腹減ったろう。なんか食うか?」
「すみません。助かります」
内山田が手早く支度を済ませると、三人で食べる初めての夕食が始まった。
「さて、まずは自己紹介からかな。俺は内山田。ここの村の人からは嫌われている流れ者さ。ははは。ももたろうのことは良く知っている。だが、お嬢さんは見かけない顔だね」
「はい。わたくしは青き丘の国の皇女、閼伽凛と申します。ところで内山田様はヒャ=ダイン・サントハイムという人物にお心当たりはございませんか?」
閼伽凛皇女は何気ないふりをして、いきなり核心を突いた。内山田とて、とぼけることはできただろうが、沈黙をもって応じてしまった。
一瞬にしてその場の空気が凍りつく。
少しの沈黙の後、内山田さんが語り始めた。
「…俺は今、内山田健一と名乗っています。これからは俺のことを炭焼き小屋のケンちゃん、とでも呼んでくださいw」
「えええっ、まさか内山田さんがヒャ=ダインさんってことなの!?」
「わたくしは、亡き父の命により貴方を探しておりました。もし貴方が力を貸してくださるのであれば、氷帝・沙羯羅竜王(ヒョウテイ・シャカツラリュウオウ)に奪われた国を取り戻し、民を解放したいと願っているのです」
「人違いですね。俺には何の事だかさっぱり。それより風呂を沸かしましょう。ももたろうは傷にしみると思うが、泥を落としておいた方がいい」
結局最後まで内山田は自分をヒャ=ダインだとは認めなかった。やむなく閼伽凛皇女はいったん引き下がることにした。
ふたりはドラム缶を利用した風呂に交代でつかると、小屋の二階に用意されたそれぞれのベッドに横になった。
「ねえ閼伽凛様。本当に内山田さんがヒャ=ダインさんだと思う?」
「はい。恐らくそうだと思います。まず第一にあの剣の腕前。そして次に内山田殿が使った武器です。あれは『電弧放電式光剣(ライトセーバー)』といって、伝統的に『モノノフの騎士(モノノフノキシ)』が使ってきた武器なのです」
『モノノフ騎士団』というのは、古(いにしえ)より連綿と連なる修道的平和維持組織として知られていた。その起源は万物を司るエネルギーである『桃魂(ピーチソウル)』を研究する哲学者集団であったとされる。それから世代を経るにつれて、彼らはこの世界線の守護者として闘うようになっていった。
しかしさらに時代が進み、争いのない期間が長くると、戒律の厳しかったモノノフ騎士団からは離反者が相次ぎ、集団としての機能を失っていった。
わずかに残った継承者たちが青き丘の国に自治的な領地を有してはいたが、一年ほど前の鬼族の侵略によって青き丘の国と共に滅んだと噂されていた。
「どうして内山田さんは自分がヒャ=ダインだ、って認めないのかなぁ?」
「分かりません。ひょっとすると父から下された指令に関係があるのかもしれません」
その後、ふたりの話題はお互いの生い立ちに関することに移っていった。あるいは好きな食べ物とか、趣味だとか、休みの日の過ごし方とか、好きな男の子の話とか(笑)ふたりが親密になるのにさほどの時間はかからなかった。
「…というわけで、わたくしの名前の『閼伽』には『仏前・墓前に供える水』という意味があるのです。それから『凛』の方は母の名から一文字賜ったものなのです」
「へぇ~そうなんだぁ。しかし不思議だなぁ。閼伽凛様とは初めて会った気がしない。こんなにも気が合う人が世の中にいるなんて信じられないや」
「わたくしもそう思いますわ。ももたろう殿には出会うべくして出会った。そんな気がいたします」
「えへへ。わたしもそう思う」
「ところでももたろう殿、まだ傷は痛みますか?」
「ううん、全然ダイジョウブ。肩の脱臼は内山田さんが治してくれたし、それ以外はかすり傷だから」
「すみません。わたくしのせいで騒動に巻き込んでしまって…」
「大丈夫だよ。元気を出して、ね?」
「ももたろう殿…」
「はい」
「…そちらへ行っても?」
「へ?こっちのベッドへ?うーん、うーん…い、良いですよ」
閼伽凛皇女は少し緊張した顔でももたろうのベッドへもぐりこんだ。ももたろうが使っている毛布が閼伽凛皇女もやさしく包み込む。
(な、なんかドキドキするぅ…)
ももたろうは何か冗談を言って場を和ませようとしたが、閼伽凛皇女のすすり泣く声に気がついて動きを止めた。今日はいろんなことがあったし、閼伽凛皇女が泣くのも当然だというふうに考え、すべてを受け入れることにした。
そしてももたろうは閼伽凛皇女が寝付くまで、いつまでもその美しい黒髪をなでてあげることにした――――。