第四楽章│黒い終末

■#002│キビダンス

 結局、五分たっても何も起こらなかった。つまり、マジックは失敗したのだ。

 それにしても観客というのはシビアなものだ。つい先ほどまでは興奮状態にあり、イヌの少女のマジックに酔いしれていたはずなのに、早速手のひらを返している。多くの観客が不満そうな顔をしたまま、ぽつりぽつりと帰り始めた。中には『金返せ!』などと罵倒する者もいる始末だ。

 1分が経過すると外側のパネルが溶けて、水槽の水が中に侵入してしまうのではなかったのだろうか? 棺桶には目立った変化は現れなかった。そしてイヌの少女は棺桶ごとクレーンで吊るされたまま、舞台から消えていった。

 最終的に観客席に残ったのは、ももたろうと閼伽凛皇女だけとなり、結局そのまま幕が閉じた。

 こうして、なんだかよくわからないうちに初日のマジックショーは終わりをむかえた。

「うっわー、なんだかすっごく責任感じちゃう」

「そうですわね…それよりれにちゃん心配ね。ちょっと楽屋に行ってみない?」

 ももたろうと閼伽凛皇女が舞台裏に行ってみると、そこではイヌの少女が興行主からこっぴどく叱られているところだった。

 興行主は真っ赤なタキシードに黒いシルクハットという出で立ちで、イヌの少女に延々と罵声と毒舌を交互に浴びせかけていた。そして最終的には「いつまでもあしながおじさんだと思うなよ!」という捨て台詞をはいて怒って出て行ってしまった。

興行主(コウギョウヌシ)のイラスト

 イヌの少女は他のスタッフたちにそれぞれお詫びをしてまわると、その足で楽屋へ引っ込んでしまった。

「れにちゃん…入るわよ?」

「れにちゃん…その…何と言っていいか…。でも元気を出して。ね?」

 ももたろうと閼伽凛皇女が楽屋を訊ねると、イヌの少女はパイプ椅子に腰かけて何かをブツブツつぶやいていた。やがて堰を切ったようにわんわんと泣き始めてしまうのだった。

 ふたりはだまってイヌの少女が泣きやむのを待つしかなかった。

「一年もかけて準備してきたのに…。あたしったらホント全然ダメダメ。こんなんじゃみんなを笑顔にすることなんてできやしないよ…」

「みんなを笑顔に?」

「あたしはさ、みんなに笑顔をプレゼントしたいからこれまでずっとマジックをやってきたんだ。最初はただ家族に見せるためだけにやってたの。あたしがマジックをすると家族全員が笑顔になって、楽しくなって…。家族のみんなが『元気がでたよ』って言ってくれるの。だからね、他の人にも元気になって欲しいなって思って、マジックショーを始めたんだ…。でも…でももうこれでお終い」

「大丈夫だよ。まだ明日のステージがあるじゃない! 今日の失敗は明日取り返せばいいんだよ!」

「そうですわ。明日もういちど頑張りましょうよ!」

「ううん、もうダメ…。だってあたしの心は完全に折れちゃったもん…。明日のステージはキャンセルするわ…」

 そう言ってうなだれるイヌの少女に閼伽凛皇女がツカツカと歩み寄り、だしぬけにそのほっぺたに強烈なビンタをかました!

「そんなことでみんなを笑顔にできますか、この軟弱者ッ!」

「痛いわね! 何すンのよ!?」

「あなたみたいな人、楽屋に一人で残ってるといいんだわ」

「はんッ。お高くとまっちゃって…あんた、あかりんとか言ったよな?」

「そんな、不良みたいな口の聞き方、おやめなさい」

「もうあたしの事はほっといて。ここから出てってよ!」

「まあまあおふたりさん。ケンカしないで。あっ、そうだみんなでステージに行ってみない?」

「ステージで何するつもりなの、ももたろう?」

「れにちゃんに見て欲しいものがあるんだ」

「なるほど、アレね!」

 ってことで、ふたりは渋るイヌの少女を強引に観客席まで連れていった。

 それからももたろうと閼伽凛皇女がステージに上がって、キビダンスのパフォーマンスを開始した。

 もちろん最初はイヌの少女もノリが悪かった。しかし徐々にふたりのフォーマンスに惹かれていった。そしてなんと最後には舞台に上がってきてこう言った。

「なにそのダンス、あたしも踊りたい! ねえあたしにもステップ教えて!」

 見よう見まねで踊りだすイヌの少女。結局、そのまま遅くまでダンスの練習に没頭ちゃう三人であった。

「れにちゃん、どう? 楽しくなった?」

「うん、とっても! こんなに楽しい気分になったのは初めてかも? あたしはマジックでみんなを笑顔にしたいって考えていたんだけど、ダンスでもそれが可能なんだね! ところでこれはなんていうダンスなの?」

「これはね、わたしがおばあさんから教わった踊りで、キビキビとした動作を心がけることがポイントのダンスだから、略して『キビダンス』っていうの」

「キビダンス? あはは、変な名前だけど、なんかイイ! 踊ってると本当に楽しくなってくるね」

「ありがとう、そう言ってくれて。わたしもれにちゃんが元気になってくれたから嬉しいな」

「で、あなた明日のショーはどうするおつもり?」

「もちろんやるわ。失敗を怖がってちゃ前に進めないもんね! そうだ、今晩はもう遅いし、今日はあたしの家に泊まらない? ちょっと散らかってるけど、ふたりが寝るスペースくらいならあるわ」

 その日、ふたりはイヌの少女の家に泊めてもらうことになった。訊ねてみるとイヌの少女の部屋はかなり個性的だった。そこいらじゅうに標本だの、実験器具などが置かれていて、まるで理科室のような雰囲気であった。

 さらに床や壁に魔方陣やら、謎の古代文字やらが書いてあったりして、かなりオカルトな雰囲気を醸し出していた。ももたろうと閼伽凛皇女はちょっとびびってしまい、玄関で固まってしまった。

「ごめんね、ちょっとちらかってるけど、そこらへんに適当に座って。今お茶入れるわ」

「い、いやどうぞお構いなく…ひーなんかコワイよー」

「しっかしスゴイ部屋ですわね? ひゃっ! なんかこの装置から煙が出てるけど大丈夫なのかしら?」

「あ、それ? 今ねーワニとシャンプーから酸素を作る実験に取り組んでるんだ。あたしは錬金術の勉強中なの」

 部屋の中央にあった丸テーブルに腰かけて、ティータイムが始まった。

「さあ、お茶をどうぞ。あ、それからこれはあたしが自分で漬けたナス。こっちは頂き物の鮭とば。よかったらつまんで」

 それから三人で色々な話をして過ごした。どうやらイヌの少女はももたろうの鬼退治の話に興味をもったようだった。

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